井崎聖子展

光を奏でる

2022年2月10日(木)-2月20日(日)(水曜日は休廊)

11:30~19:00(日曜日、最終日は17:00まで)

会場:8F 枝香庵/WEB

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展示作品

またたき
井崎聖子

90x130cm
¥715,000(税込)

陸離
井崎聖子

90x120cm
¥660,000(税込)

放光
井崎聖子

90x100cm
SOLD

作品詳細

とうとう
井崎聖子

90x40cm
¥220,000(税込)


井崎聖子

47x47cm
¥132,000(税込)

ぽっ
井崎聖子

47x47cm
¥132,000(税込)

カシスⅠ
井崎聖子

70x50cm
¥198,000(税込)

カシスⅡ
井崎聖子

70x50cm
¥198,000(税込)

なごり
井崎聖子

80x80cm
¥242,000(税込)

たちこめる
井崎聖子

802x120cm
¥660,000(税込)

佇む
井崎聖子

¥550,000(税込)

瑞相
井崎聖子

32x82cm
¥198,000(税込)

Viola
井崎聖子

455x53cm
¥132,000(税込)

marshmallow
井崎聖子

46x355cm
¥93,500(税込)

向こうへ
井崎聖子

53x335cm(M10)
¥99,000(税込)

ほころぶ
井崎聖子

23x23cm(SSM)
¥55,000(税込)


井崎聖子

22x19cm
¥49,500(税込)

立春
井崎聖子

16x23cm(SM)
SOLD

作品詳細


井崎聖子

23x16cm(SM)
¥44,000(税込)


井崎聖子

185x16cm(F0)
¥33,000(税込)

T-1
井崎聖子

215x25cm
¥33,000(税込)

T-2
井崎聖子

215x25cm
SOLD

作品詳細

「音」を奏でるように、色をのせていく。
私の色が、光が、空間に浸透し、満ちていくように。
光をまとった色のベールを幾重にも折り重ねた先に …何が見えるだろうか。

完全なる光へ

福住廉

今年の正月は冬山にいた。夏は鬱蒼とした樹木と鋭い岩石が広がる険しい山も、冬となれば雪一色である。すべての形態はゆるやかな雪面で覆い隠され、色彩も乏しい。

印象深かったのは、夜。山小屋で一晩過ごしたのだが、そこで完全なる闇を経験したのである。完全というのは、眼を瞑ったときの闇と目を開けたときの闇がまったく変わらず、何ひとつ見えなかったからだ。部屋の細部はおろか、隣の友人たちの所在さえおぼつかない。背中に重力を感じることはできたが、視覚的には何も見えないため、闇の中に全身を包囲されたような息苦しさを覚えた。 もちろん、眼が闇に慣れてくることを期待した。だが、それは空間の中にわずかでも光が入り込んでいるか、あるいは外部で浴びた光の残像効果によるもので、そもそも電気の通っていない山小屋ではそのような眼の使い方はありえない。不安にかられ手探りで遮光カーテンを開き、窓の向こうを見やると、暗い灰色の雪原をどうにか確認することができた。視力が失われたわけではなかったので安堵したが、山中に街灯などあるわけがないし、月が出ていたわけでもないから、その「見えた」という事実にしても、何億光年も離れた星々から届くかすかな光の賜物であることを知った。「見る」という行為が、いかに光に依存しているかをまざまざと実感したのである。

完全なる闇を体験した話からはじめたのは他でもない。井崎聖子の絵画は、それとは対照的に、完全なる光を志向しているように思われるからだ。

事実、井崎の絵画には光が満ち溢れている。いや、あたかも平面の中で光が発光しているかのようなのだ。もちろん物理的に発光しているわけではないが、光のぬくもりやかがやきも含めて、そのように見えるという点が井崎の絵画の大きな特徴である。こうしたイリュージョンを可能にしているのが、油絵の具を薄く何層も重ねることで透明感のある色彩の形象を描き出すグレーズ技法であり、これにより井崎は凡百の具象絵画のように影や闇を描写することで光を逆照するのではなく、平面の中で光そのものを生むことに成功しているのである。

裏を返していえば、井崎の絵画には光の対照としての闇がまったく存在しない。色彩がわずかに重複する濃厚な層に、闇の萌芽を見出すこともできなくはないが、闇が光の不在によって定義されるとすれば、それはやはり色彩の濃淡であるというべきだろう。だが、原理的に考えれば、この闇の不在という点こそ、井崎の絵画が完全なる光を志向していることの例証にほかならない。 だが、完全なる光とはいったいどんな光なのか。完全なる闇が「見えない」ことに由来しているとすれば、完全なる光もまた、「見えない」ことは想像に難くない。すべてを焼き尽くす原水爆の光を人類が見ることはできないように、完全なる光は人類の認知能力を超越していると想定しうる。だとすれば、それは人類には決して到達しえない、ある種のイデアであるともいえよう。 色彩が光と視覚のあいだに生じる現象だとすれば、井崎はその色彩を手がかりにして、人類の可能性を超えた完全なる光に挑もうしているのではないか。井崎の絵画にわたしたちが眼を奪われるのは、透明感のある色彩の美しさだけではなく、むしろそのような不可能に立ち向かう不断の運動性なのだ。

(美術評論家)

井崎聖子