「いきかよふ ほとり ほころぶ」
いきかよふ 行き通う/息通う 行ったり来たりする 呼吸をしている
ほとり そば、かたわら、 縁故ある人 辺境、果て
ほころぶ (縫い目が)ほどける、ほつれる、(つぼみが)ほころぶ、(口元が)ほころぶ
今いる場所を確かめること、そのうえで次の一歩を踏み出す先を決めることを繰り返しながら、私たちは絵を描き続けて足元の道を延ばしてきました。 歩みを進めつつ目的地のわからない道は続き、自分のあずかり知らぬところからやってくる変化や分岐点が幾度もありその度に振り返り立ち止まります。 それでもその先の見えない旅路のような道を行くための拠り所、道しるべ、居場所、在り方はいつも自分の中にありそれを求めることは私達にとって「描くこと、作ること」そのものように思えています。 その旅の途中不意に近づいてお互いの道が交わり変容の要因になり、また次の拍子には別の方向へ進むことを繰り返す。 そのような縁を得た二人の手探りの現在をあらわす言葉を展示の主題としました。
石原は「息通う 辺り 綻ぶ」 この言葉から「身体」をイメージした。 (いま自分は)生きている、呼吸をしている 、最果てを思い、かたわらを感じて、つぼみがほころぶ、笑う… 良いこともなく、かと言って最悪でもない、特別ではない日常を受け入れて、今日を笑ってやりたい、祝ってやりたい。 そういったことを考えた。
村上は「行き通う、行き交う 辺り 綻ぶ」 この言葉から「道」を思った。 (人生的な意味で)誰もが歩いている途中である。 変化する環境、時に誰かのそれと並んだり交わったりする。 環境が変わったことによる自分の世界のほころび、道でないところへ溶け出すもの/こちらへ溶け入るもの… そのようなイメージを持った。