燃え滾る溶岩と太古の森

2019年5月22日(水)-5月31日(金)

11:30~19:00(日曜日、最終日は17:00まで)

会場:7F 枝香庵Flat

長谷川一郎髙栁麻美子

燃え滾る溶岩と太古の森 (宮田徹也|日本近代美術思想史研究)


浜田浄さんと荒井よし枝さんに「若手の二人展」の企画を依頼された。普段から様々なギャラリーを巡っているので、常にこの企画を頭の片隅に置いていた。2017年に大阪で見た長谷川一郎のビルディングと、同年art complex Tokyoで開催された髙栁麻美子個展の抽象画を並べたら、きっとそれぞれの個性を引き出せる二人展になろうと思いついた。

主に大阪で活動している長谷川さん、永らくドイツで制作を続けていた髙栁さんが銀座・枝香庵で共に発表するのも意義がある。早速お二人に連絡してポートフォリオを取り寄せようと思ったら、二人とも私が客員教授をやっている嵯峨美術大学の非常勤講師であることに、ここで気が付いたのであった。私は講師というよりも作品で判断した。

長谷川さんの人気のない建造物を見ていると、私は太古の森を思い浮かべる。髙栁さんの原型となっている抽象画は、まるで燃え滾る溶岩が氷河期で冷えた状態を想起する。つまり二人の作品は、人類が存在する遥か以前の状態から今日に至る人間の叡智による人工物の光景が描かれているのであると、私はいま、ここで気付いたのであった。

では、未来は描かれていないのか。芸術とは様々な物や事を含んでいる。現在と過去があるならば、未来も含まれている筈だ。しかし我々にとって知りえないからこそ未来が存在し、未来を見渡せるのであればそれは未来ではなく現在か過去であると定義することができる。二人の絵画に未来は含まれている。それを私達が認識できないだけに過ぎない。

枝香庵Flatは非常に癖の強い場所だ。床には段差があり、壁面はホワイトキューブであっても天井付近はコンクリートの打ち放しである。床はフローリングとコンクリート、奥の壁面を開けると銀座を見渡せる窓となり、壁面の処々に柱が埋め込まれている。だからこそ、権威的な空間を必要としない現代美術の作品は映える。

長谷川さんと髙栁さんは、この場所を見事に使いこなすのであろう。床から天井、入口から奥までと場所の隅々にまで二人の意識が行き渡り、長谷川さんの淡い色彩と柔らかい線と、髙栁さんの強く濃い画面は、どのような闘争と融和を果たすのか。二人の作品の印象が逆転するのかも知れない。全く異なって見えることにもなるのではないか。

1978年生まれの長谷川さんと1976年生まれの髙栁さんを、決して「若手」ではないと解釈する場合があろう。しかし私にとっての「若手」とは年齢ではなく作品の「若さ」だ。長谷川さんと髙栁さんの作品のコラボレーションを見ることによって、大学を出たばかりの若者も、充分にキャリアを積んだヴェテランも、これからの美術を形成して戴きたい。

5月25日(土) 14:00- ギャラリートーク
宮田徹也×髙栁麻美子×長谷川一郎
「世界の中での枝香庵の展覧会」