わたしの絵を観てくださった方々に、ことにわざわざ観に来て下さった方々に、深くお礼申し上げます。ありがとうございました。わたしの生涯で最も苦しかったここ二、三ヶ月の間に、わたしは死なずに力を尽くしてこれらの絵を描いたことを、喜しく思ひます。ここに描かれた人々の顔はそのままわたくしの自画像のような気がします。
凍ついた冬の星空の美しさを、わたしは今もなお激しく夢みています。でも敗戦後の日本の、このわたしの両足がふまへている、どろんどろんのぬかるみの現実をとてもそのままにはしておかれませんでした。
人生のすべてのだらしなく敗れた人々を、今日わたしは不思議な愛情で愛しています。人生のすべての勝ち誇ったものに対する激しいレヂスタンの精神がわたくしに描かせます。
これらの絵を純粋絵画云々を口やかましく言ふごく特定の人々にではなく、むしろ絵画はむづかしいものと思ひながらも何かいつも今日の問題を苦悩している人々に出来る限り多く観て頂き、それらの若い世代の人々にわたくしの訴へたいものを少しでもくみとって頂きたかったのです。
1953年7月10日 島村洋二郎
1953年画廊喫茶エルテル(新宿武蔵野館前)でのクレパス画展 挨拶下書きより
洋二郎没後七十年展に向けて
1953年に亡くなった伯父島村洋二郎の没後七十年が巡ってきました。
皆様方のご厚情のおかげで、1987年銀座現代画廊での遺作展以来、10回以上の島村洋二郎展を開くことが出来ました。その度に、作品が見つかり、新たな繫がりが生まれました。
コロナ禍中の2021年12月には、資料や総論、図版(モノクロ)をまとめた『カドミューム・イエローとプルッシャン・ブリュー 島村洋二郎のこと』を、日本近代文化史研究者の小寺瑛広氏と共編著で、未知谷から出版いたしました。
今回の洋二郎展は5年ぶりです。新たに発見された作品一点を、所蔵者のご厚意で展示できるというサプライズがあり、嬉しく思っております。
洋二郎は1916年(T5)神楽坂に生まれ、画家を志し、旧制浦和高校を退学後、里見勝蔵に師事し、生涯先人に学ぶことを続けました。
そして肌身離さず持っていた「黒い手帖」に、<描くことだ 描くことだ。不断に描くことだ。力と情熱の限りを尽くして>と記し、37歳で亡くなりました。
どんな状況でも、最後の最後まで生きること、描くことをあきらめなかった画家の作品と、是非語り合ってくださいませ。
島村直子
島村洋二郎(しまむらようじろう)(1916-1953)
1916年東京市牛込区中町生まれ。
旧制浦和高校を中退、里見勝蔵に師事したがほとんど独学で描き続ける。
晩年大井簡易宿泊所に起居、クレパスで同宿人を描く。
1953年7月新宿エルテル喫茶店で個展開催。
9日後永眠。享年37歳。