平澤重信展

scenery

2020年2月1日(土)-2月10日(月)

11:30~19:00(日曜日、最終日は17:00まで)

会場:8F 枝香庵

ピアニッシモは震えた平澤重信2016油彩S6

緑白色社会―ボマルツォ―平澤重信2019油彩M20

緑白色社会―朝―平澤重信2019油彩F15

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画家の平澤重信は大学の獣医学部を卒業している。
山下透の企画で新潟絵屋での個展があったとき、ぶらりという感じで現れた平澤と話したときも、それを訊いた気がするが、答えは忘れてしまった。ただ会った人の印象が、いかにも獣医師然という感じだったのを覚えている。獣医師は動物好きの人のなる仕事だと思うけれど、実際はその動物の病や死と関わることになる。好きなものと仕事で関わるつらさは、絵を描く人にもあるのだろうと平澤の絵を見て感じる。
仔犬と子供の出会いのような幸福は、いつまでも継続はしないが、その幸福が大人になった人と病んだ生き物をつなげてもいる。
雑巾水のように沈んだ画面を、シュルシュル走る画家の絵筆の、マッチを擦るような音とともに、小さい明かりがともる。近年の、オールオーバーな抽象画然とした絵面(えづら)の方々に、神出鬼没に現れるイメージは、色と、ほのかな香りは、描くことを職業に選んだ人の、絵と出会った遠い日にまでさかのぼる、完全な幸福の消えない記憶にちがいない。
自転車、花、木、鳥、犬、猫、工場、家―平澤の絵のその家は、必ずと言っていいほど、煙を吐いている。ちょろっとして人魂のような煙だ。薪ストーブのじわじわ広がりだした近年でも、あまり見ない白い煙だが、私の町では製紙工場の巨大煙突からこの色の煙がときたま見える。煙はかつては町の活気を、家の生気を感じさせたものだった。その煙はいつからか、悪者になった。かつて―遠い時間の向こう…平澤重信の絵の古い作業場の床や壁を思わせる、無数の傷や痛みをまとったような絵肌は、更新という名でさまざまな前代を否定し、価値を裏返しては捨ててきた私たちの時代の、過ぎ去った時間の鏡像にも見える。
信じられるもの、変わらない価値は、どこにあるのだろう、と画家が問う。どこにもない、と絵が言う。もはやないものしか映さない、映せない、この俺のなかにしか、と。
画家と、 むかし元気な仔犬だった傷だらけの老犬であるその絵が、花吹雪の舞う、夕暮れの雪のでこぼこ道を、とぼとぼ連れ立って歩いている。

大倉 宏 (美術評論家)

平澤重信