「記号と現代生活」の在り方に鋭い目線を向ける私は、日常の出来事や心の機微を形に残し、その瞬間を追体験するために、新聞印刷に使われるスクリーントーンの手法を用いて作品を書いている。
毎日WebサイトやSNSで大量に流される文字情報は、内容を淡々と伝えているように見えるが、シンプルかつセンセーショナルな表現で、大衆の思考や行動を操る。
私が見た文字情報は、客観的な事実の一部でしかない。
内容をどこまで信頼し、何を感じ取るかは、個人に委ねられる。
文字情報は急速に消費され、人々の記憶からすぐに消え去っていくが、一見するとくだらない些末な内容に価値を見出し、作品として昇華させる。
2022年9月10日に私が閲覧した、あるニュースサイトの記事を、スクリーントーンの手法を使って新聞用紙に書いた。
令和のダークヒーローともいえる男性がYouTube界に彗星のごとく現れた。
著名人のスキャンダルを暴く姿に庶民は熱狂し、その内容と更なる暴露への期待で、国会議員にまで押し上げられた。
良いことと悪いことは紙一重。
必要悪という言葉があるように、ある側面から悪いこととされるものも、別な側面から見たら必要とされる。
庶民が鬱憤を何らかの形で晴らしたいと思った時、それを誰かが晴らしてくれることを期待する空気感がある。
他人のプライベートをネタにして、自分が信じる正義を振りかざす行為は実に気持ち良いだろう。
しかし、残念ながら、そこで得たかりそめの優越感に自分の大切な時間を乗っ取られている。
他人の不幸は蜜の味だが、本当の幸福は遠ざかっていくばかりである。